ヴァイオリン製作 あれ・これ

弦楽専門誌『ストリング』に「知っているようで知らない名器の逸話」を連載していたヴァイオリン製作家、木村哲也がヴァイオリンについていろいろお話しします。ホームページは www.atelierkimura.com

ニスの話 Part 1.

良いニスってどんなもの?

 ヴァイオリンの話をすると必ずといっていいほど出てくる「ニス」。良くも悪くもヴァイオリンの見た目に大きく影響を与えます。あまり楽器本体のことは知らないよと言う人でも「このヴァイオリンのニスは少し赤すぎて恥ずかしいなぁ」とか、「なんか濁った黄色で奇麗じゃないなぁ」なんて思ったことがあるでしょう。ニスが好みのものではないと、せっかく音の良いヴァイオリンだとしても弾く気になりませんよね。しかもストラディヴァリの秘密はその魔法のようなニスにありなんて言われると、いやでも気になりますよね。「ストラディヴァリの秘密=魔法のニス」という題材はまたの機会にとりあげることにして、今回のお題は良いニスの条件です。注:ここでいうニスとはあくまでもヴァイオリンのニスです。

 だらだらと長文で書くのではなく、ウソ、ホント形式で進めていきましょう。

・ニスは透明度が高いもののほうが良い 
 これはホントと答えてしまいがちですが、一概にそうだとは言えません。失われたイタリアのニスと聞くと、どうしても限りなく澄んでいて透明度が高いものだと思い込んでしまいがちですが、実際には特に鮮烈な色をもつものの中にはかなり不透明なものが含まれています。透明過ぎないニスのほうが、実は独特の深さを出しやすいのではないかと個人的には考えています。

・丈夫なニスのほうが良い 
 ウソといって良いでしょう。良いヴァイオリン用のニスはある程度脆く、使われていくうちに細かいひび割れが生じたり、上手い具合に剥がれたりするものです。また、丈夫なニスは見た目がどうしても「硬く」なってしまい、冷たさを感じさせてしまいます。脆いニスはどことなく「はかなさ」と、「繊細さ」を感じさせます。しかし、必ずしも;

・柔らかいほうが良い
とは限りません。さすがに柔らかすぎても実用的でないことはわかりますよね。ニスが剥がれたり薄くなったりすることから使い込まれた楽器の風情が生まれるとは分かっていても、あまりに極端なものは困りますよね。

・薄ければ薄いほど良い
 これはホントでありウソであるといえます。ニスの役目は木を装飾すると共に保護することにありますが、音響的には、何かを取り除くことはあっても、加えることはありません。少しわかりにくい言い方ですね。つまり、音を最優先するのであれば、ニスは薄いほうが良いといえます。しかし、名器と呼ばれる過去の作品にもかなり厚めのニスが塗ってあるものが数多くあります。ヴェネチア産のものが代表格ですが、ストラディヴァリの赤いものや、グァルネリ・デル・ジェスの作品にもニスが厚いものがあります。
左の画像にあるデル・ジェスのアップを見てもらっても、そのニスが決して「薄い」ものではないことがわかるでしょう。まぁ、程度の問題ですね。いくら薄くてもそれが極端に硬いものであっては、あまり薄い意味がありませんし、キャラメルを塗ったかのようなヴァイオリンから良い音がするとは考えにくいですよね。

・色が光や見方によって多様に変化する
 これはホントです。これはニスそのものではなく、いかに木肌が仕上げられているかなどにも関係してくるのですが、良いニスは見る場所や角度によって様々な表情を見せます。七変化とでもいいましょうか。また、それによって楽器に生き生きとした鮮やかさを授けることになります。素晴らしいニスに日がパッと差したときに見せる炎があがるかのような輝きには、なんともいえない感動を覚えます。

・ツルツルピカピカのほうが良い
 これはウソです。近代、現代のヴァイオリンには確かにボーリングのボールやリンゴ飴を思わせる仕上げにしてあるものが多いですが、これは必ずしもニス本来の魅力を活かしたものとは言えません。というのも、ニスの本来の目的が楽器の材料となっている木を活かすことにあるのならば、このような仕上げではその木目や木肌を殺してしまうことになるからです。
極端に磨かれたり上塗りされていない過去の作品を見るとわかるのですが、18世紀中頃以前のニスが素晴らしいといえる理由のひとつに、それが木をがっちり閉じ込めているのではなく、ある意味ふんわりと覆いかぶさっているということがあります。イメージできますか?左にあるアンドレア・グァルネリのヴィオラをみてもらえば分かるように木目があればそれをひきたて、凸凹があればそれを凸凹のまま見せるという感覚です。


Photo ©マイケル・ダーントン

製作家にとって良いニス

 上記に加えて、少しマニアックな職人の視点から理想のニスを述べますと;

・作るのが簡単
・塗りやすい
・色を着けるのが容易
・1層、もしくは多くて3層で塗り終えれる
・早く乾く
・年のとり方が上手い*1
・クレモナでストラディヴァリやグァルネリに使われていたものだと証明できる
・作り方は自分しか知らない

といったところでしょうか。最後の二つはちょっとした冗談ですから、あまり本気にしないでくださいね。私が実際に使っているオイルニスの作り方自体は、少し専門的な話になってしまいますが、そのうち記事にするつもりです。

ストラディヴァリなんかのニス

 古典的なイタリアの楽器*2のニス (私たちが狂喜乱舞してさらには「ははぁ〜」とひれ伏してしまうやつですね) は元々とても脆く、剥がれやすいものでした。また、ニス自体の魅力だと思っているものが、実は汚れや研磨、フレンチポリッシュ*3などの上塗りによって形成されたものであったり、木やニスに使われた樹脂の酸化現象に起因するものだったりします。ニスに色を着けるために使われた顔料も時間の経過と共に色あせていきますし、これらの楽器が持つ独特なニスの剥がれ方もニスの「見え方」に貢献していることは言うまでもありません。

 右の画像は前出のものとは別のグァルネリ・デル・ジェスの裏板のアップですが、前出の画像とあわせて見てもらえば、オリジナルのニスだけではなく、剥れや引っ掻き傷、そして裸になった木地についた汚れがその魅力的な姿の一部となっているのがよく分かると思います。また、写真では少し分かりにくいのですが、ニス自体もツルツルなのではなく、細かいひび割れや鋭い針でプツプツと刺したような跡*4があります。このプツプツはこの写真の右上のほうに確認できますね。このようなテクスチャー(Texture)とよばれる肌触りはニスの重要な構成要素のひとつなのですが、写真からでは確認することが難しいため軽視されがちです。
右下の画像は全く同じ部分をUV(紫外線)を使って写したものです。こうしてみると、どこにオリジナルニスが残っているか、汚れている木地がどこか、などがよりわかりやすくなります。

 このUVを使ってニスを見るというのはかなり便利な方法で、これによって普通の明かりでは見分けがつかなかった修理によって上塗りされたニスを、オリジナルのものと分別できるようになるので、今まで分からなかった修理の跡を発見したりできるようになります。

 ストラディヴァリやグァルネリが使っていたニスそのものを再現して新作のヴァイオリンに塗っても、私たちが慣れ親しんでいるそれらの名器のニスのようにはなかなか見えないでしょうね。多分、色が少し明る過ぎたり、現代の演奏家には我慢できないほど脆すぎたりということになるでしょう。このことが一種のジレンマとなり今の製作家を悩ませるんです。現代の演奏者が満足するニスを作るか、それともお客さまの声を無視してストラディヴァリなどが使っていたと思われるニス、そしてその仕上げを限りなく正確に再現しようと試みるか。ほとんどの製作家はこの二極端の間のどこかで折り合いをつけているようです。ある程度妥協しながらも実に素晴らしいニスを使われている方々はいますし、私のようにオールド/アンティーク仕上げにすることをジレンマの解決策だとしている製作家も存在します。また、多くの製作者が平均的な、史実には全く基づいていないニスや仕上げ方を使っていることも事実です。そのような方に限って、どれだけ自分のニスが素晴らしいかという自慢をしたがるのでやっかいなのですが。

じゃあ、どうやったら良いニスを見分けることができるの?

 良いニスを見分ける方法、もうこれはひたすら良いと言われるニスが使われた楽器を数多く見ていくしかありません。それもなるべくオリジナルのニスがそのままの状態で残っているものです。これはそのような楽器の写真を見ろ、ということではありません。ニスの本当の魅力を知るには実物に触れるしかないです。色ひとつをとっても、写真ではどうしても赤色が際立って見えてしまいますし、木地が黄金色に見えすぎたりします。一般的な写真で見れるのは平面的なニスであり、実際のニスは立体的なものだということも覚えておくとよいでしょう。

 しかし、ニスは「深い」ですよ...はまるとなかなか抜け出せません。

 これを読んで、まだ疑問があるよという人、また、ニスについて私に直接聞いてみたいよという人はぜひみささバイオリンワークショプに参加してみてください。

ニスの話 Part 2. 〜マルチャーナ・ニスの作り方
ニスの話 Part 3. 〜バルサムを使ったニスの作り方
ニスの話 Part 4. 〜ニスの塗り方

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*1:剥がれ方などのことです

*2:16世紀から18世紀中頃までのもの。アマティやストラディヴァリ、グァルネリとかです

*3:シャラックで作ったニスを使った鏡面仕上げの技術

*4:pin prickと呼ばれます