ヴァイオリン製作 あれ・これ

弦楽専門誌『ストリング』に「知っているようで知らない名器の逸話」を連載していたヴァイオリン製作家、木村哲也がヴァイオリンについていろいろお話しします。ホームページは www.atelierkimura.com

利き耳テスト ☆ストラディヴァリ VS その他 

 ここでは利き耳テストとしましたが、これはようするに楽器の聴き比べです。最近日本でも某テレビ番組で過去の名器とその他を聴き比べるという企画があったそうですね。私はまだ帰国していなかったので残念ながら(幸運にも?)見ていませんが。

 近年行われたテストで比較的よく知られているものに2006年にスウェーデンで行われたものがあります。使われたのは、現役で活動しているプロのスウェーデンの製作家3人の新作ストラディヴァリ(1709年製)、ガリアーノ(1766年製)、そしてガーダニー二(1772年製)の計6個のヴァイオリンでした。審査員となった70人*1の聴衆は主にESTAA(ヨーロッパ弦楽指導者協会)のメンバーからなり、各楽器が審査員に見えないよう演奏は暗闇の中で行われました。評価方法はいたって単純で、ヴァイオリンをランク付けし1番良かったと思う楽器には3点、2番目に良かったと思う楽器には2点、3番目の楽器には1点をつけるというものです。結果はというと;

  1. Peter Westerlund 70点
  2. Joseph Gagliano 59点
  3. Torbjörn Zethelius 54点
  4. Jan Larsson 39点
  5. GB Guadagnini 38点
  6. A Stradivari 27点

 驚きましたか?ストラディヴァリが最下位になったんです。ちなみにオールド・イタリアンの3棹は全てプロの演奏家によって日常的に使われているものだそうです。

 別の事例として1990年にアメリカでチェロを使って行われたテストの例を挙げましょう。この際には140人ほどの演奏家からなる聴衆が6個の新作を含む計12個のチェロを審査しました。使われたオールド・イタリアンの作品は、ガリアーノゴッフリラ(2つ)、モンタニャーニャテクラー、そしてストラディヴァリです。このテストも点数制で行われましたが、残念ながら結果は評価対象が新作かオールドかという区分でしか公表されていません。一番評価が高かったのはオールド、2,3,4,5番目に高かったのは全て新作だったそうで、それに加えグループとしての合計点数も新作がオールドよりも勝っていたということです。

                 f:id:atelier_kimura:20081113130922j:image
  ワインのブラインド・テストはフランスワインの神話を打ち砕いたが、同時に業界のレベル・アップにつながった

 このようなテストが行われるたびによく聞かれるのは、「科学的見地からすると正確ではない」という批判です。オールド・イタリアン神話を崩したくない人々のあら捜し、と決め付ける前にどのようなことが問題点になるのかを考えてみましょう。


★まず、このようなテストの公正さを高めるためには評価の対象となるヴァイオリンの「身元」を隠すことが重要です。今までに行われてきたテストでは聴衆から弾かれている楽器を見えなくすることに重点*2がおかれがちで、「試験者となる演奏家自身がなにを弾いているのか知っていること」がおよぼす影響力を無視したものが多くあります。より厳正な評価を導くためには、試験者と審査員共に試験対象が認識できない環境を用意すべきでしょう。なお、このようなことが配慮されたものはダブル・ブラインド・テストとよばれます。上記の例では、スェーデンで行われたものはシングル・ブラインド(聴衆のみ試験対象を認識できない)、アメリカで行われたものは演奏者も目隠しをしたダブル・ブラインド方式でした。


★ヴァイオリンという楽器は誰が弾いても同じ音がなる、というものではありません。その音色は楽器と奏者とのイントラクションによって生み出されるものであり、さらに仲介役としてのの性能によって出される音が大きく変わってしまいます。
あるヴァイオリンが自分の手では満足のいく音色がでなかったのに、他の演奏家に渡してみるとみちがえる音がしたということは、決して珍しいことではないでしょう。素晴らしい演奏家というのは平均的なヴァイオリンでもそれなりの音色で弾いてしまうことができます。これは、演奏家が楽器に欠けているものを補いながら弾いているからですが、その分、聴衆に聞こえる音の違いは平均化されてしまうことになります。演奏者は良い楽器を弾くときの数倍の努力をしなければいけませんが。

 ということは、ヴァイオリンの良し悪しは聴き手のみからの評価で下されるべきものではないということになりますね。

 つまり、そのヴァイオリンが弾き手に何をしてくれるかも評価のポイントになってくるわけです。速いパッセージが弾きやすいか、弓圧の変化にどう反応するか、多彩な表情をつけるのが簡単かなどなど、評価の対象にするべき項目はかなりあります。


★そして、次に問題になるのが、聴衆の耳のよさです。

 これは単純な測定可能な聴力のことではありません。一つ一つのヴァイオリンの音色を的確に判別する能力のことです。良いヴァイオリンの音を悪いヴァイオリンの音と区別するのは、特別な訓練を受けていない人でもある程度直感で分かるものですが、一定の基準を満たした「良いヴァイオリン」の中からさらにランク付けしようとするのは難解な作業です。音色を聴き取る能力に個人差があるのは事実であり、しかもそれを明快な言葉または数字で評価することができる人物というのは、ごく限られているのではないでしょうか?しかも、音色の判断基準をどこにおけば良いのでしょう?評価の仕方はどうしても主観的なものになってしまいます。

 また、人間の記憶力というのは案外あてにならないものです。聴き比べる楽器が10個あるとして、最初に聴いたヴァイオリンと最後に聴いたヴァイオリン、あなたにはその二つを全く同じ「ものさし」を使って判別できる自身がありますか?耳も数台のヴァイオリンを聴いている間に多少なりとも疲労していきます。

                     f:id:atelier_kimura:20100626151158j:image
                     音を聴くだけで楽器が判別できる?

 上の画像を見て誰が作ったヴァイオリンなのか、または単純に古いものか、新しいものか判断できますか?難しいですよね。もともとこのような質問に的確に答えるにはそれなりの知識と経験が必要ですし、この写真はある楽器の一部分を断片的に一定の角度で写したものだということが、その難度をさらに上げています。利き耳テストにも同じようなことがいえます。このようなテスト時には、一つの楽器が持つ様々な表情を断片的に垣間見ることしかできません。5分、10分の演奏からその魅力の全てを聴き取ることは困難でしょう。

 ついでに、といっては何ですが...

 よく、「ストラディヴァリの音色はどうたらこうたら」とか、「グァルネリの音にはうんたらかんたら」などという文を見聞きしますよね。それらはあくまでもそれらの楽器が出す音色の傾向であって、絶対的なものではありません。楽器を鑑定する際に音色を基準として真贋を判断しないのはそのためです。グァルネリ・デル・ジェスの作品の中にもストラディヴァリっぽい音がするというものが存在しますし、逆もしかりです。音色を聴くだけでストラドなのかデル・ジェスなのかほぼ間違い無く当てることが出来る人はいません。断言します。


 このようにしてみると、より正確なテストをするために考慮することがかなりありますね。しかし、私は別に、このような理由から利き耳テストは全く意味がない、とは言うつもりはありません。その評価基準や環境が一定していないとはいえ、これまで行われてきたテストで新作が絶えずオールドと同等かそれ以上の評価を受けてきたことには充分の説得力があると思います。70年代にワインのブラインド・テストでカリフォルニア産のワインがフランス産のものを打ち破ったことが、結果的にカリフォルニアンワインの知名度だけではなく業界全体のワインの質を高めることにつながったのと同じように、新作のヴァイオリンが音質面でオールド・イタリアンと肩を並べることができるということを事実として受け入れることができたときに、この業界も一歩前に進むことが出来るのではないかと思います。また、そうすることで、新作vsオールドなどという枠組みから離れて、もっとこのテストを有益に使えるようになるのではと感じます。

 そうそう、気になっている人がいると申し訳ないので教えておきますが、前述の画像のヴァイオリン、あれは私が3年ほど前に作ったものです。

 そこのストラディヴァリウスをお持ちのかた、どうです、今度私のヴァイオリンと利き耳テストをやってみませんか?もちろん、グァルネリでも結構ですよ。(笑)

*1:実際に票が集まったのは55人からでした。

*2:一般的には演奏者と聴衆の間に薄い布が張られる方法がとられます。